素晴らしき生活(ショートショート)

肌寒い気温、紅潮した夕焼け、澄んだ空気、風に躍る枯れ葉、全てが秋の訪れを感じさせていた。

 

-ジリリリリリン ジリリリリリン-

 

ベッドボードの目覚まし時計が発するそのアラーム音は夜明け前の静けさが残る部屋に鳴り響き、同時にそれは起床の時刻である事を知らせていた。
男はそれを二、三叩きアラームを止め寝ぼけ眼を擦りながら布団からでた

この季節になるとどうしても朝が辛い。寒いが故に身体から放出された熱を夜通し蓄え続けてきた布団から出る事を身体が拒絶するのだ しかしそれを乗り越えれば清々しい朝が待っている。

いつもと変わらない朝のハズなのに何処か新鮮な感じがした
男は二階の寝室を後にし寝ぼけた身体を何とか動かしながら階段を降り洗面所へ向かった
蛇口をひねり冷めきった水道管を通って出る水を顔に浴びせ目糞と共に眠気を洗い流した 簡単に身なりを整え着替えを済ませた男は多少の金と鍵そして 読みかけの短編小説を持ち家を留守にした。


秋を感じさせる冷たい風が吹いた もう少し厚着をするべきだっただろうか、そんな事を考えながら向かったのは近所のカフェ 決して華美ではなく落ち着いた雰囲気のあるここが男は大好きなのだ
店内へ入ると暖房がしっかりと効いており冷えきった身体を暖気がそっと包み込んだ
カウンターで手短に注文を済ませいつもの窓際の席に着く しばらくすると表面に薄っすらと焦げのついたホットサンドとモーニングのホットコーヒーがウェイトレスによって運ばれてきた
「どうも」と男は軽く会釈をしそれを受け取った

ステンレス製だろうか 銀色に輝く小さな容器に入ったミルクを半分ほどコーヒーに注ぎ 軽く混ぜ まだ湯気の立つコーヒーを一口すすり深く息をついた。
「優雅だなぁ」 そう呟き視線を窓の外に移した のんびりとした様子で流れる いわし雲、店の前の小さな黄色い花を咲かせた金木犀の葉が微かに風に揺れ
ゆっくりとした時間の流れを感じさせた。
しばらく眺めたあと 食べ頃の熱さになったホットサンドを頬張り 持参していた短編小説を開き読書にふけていった。
この短編小説は実に面白みのある小説で、ある時は 金箔を貼り眩いばかりの輝きを放つ金庫の話、またある時は 森に現れた巨大な穴にまつわる話、短編小説が魅せる数々の奇想天外で何処か魅力的な不思議な世界にのめり込む男 ふと店内を見渡すと空席は幾つか有るものの朝に比べ人が増え随分と賑わっていた
男は小説を閉じ すっかりと冷えてしまったコーヒーの残りを流し込み 「ごちそうさま」と食器をカウンターへ返却したのち店を後にした 朝に比べ陽が照ってるせいか程よく暖かい それに朝は気付かなかったが店前の金木犀が特有のやわらかで甘い香りがどこか懐かしい気分にさせる身体の内部へ染み渡らせるように深呼吸をし家へと帰って行った。
道中レンタルDVDショップへ立ち寄り1本の映画を借り近くのスーパーで酒とツマミを買い帰宅した
男は酒を冷蔵庫に入れ シャワーを浴びる事にした 別に何か激しい運動をした訳では無いがシャワーを浴びれば気分もリフレッシュされるというものだ
手短にシャワーを終えた男は髪を乾かしスウェットに着替え酒とツマミを持ちリビングへ向かった 帰り際に借りたDVDをレコーダーにセットし テレビをつけソファに腰を下ろす そして酒を煽る 冷えた酒が火照る男の喉へ音をたてながら流れ込んでいく
特段 酒に強いという訳でも 年代物のワインをコレクションしている訳でも無いがたまには昼間から飲む酒も悪くないだろう、そんな理由でたまに酒を嗜む そもそも男には年代物のワインの良さなど分からない 気持よく酔えればそれで良かった
借りた映画は 麻薬の売人に家族を襲われた少女が 同じアパートに住む顔見知りの男の部屋に逃げ込んだ事で男が殺し屋だと知り家族の敵討ちを果たす為男に殺し屋へと育てられる といった物だ
なんとも現実離れした話ではあるがシリアスな内容故に観入ってしまう
男は夢中になりながら たまの酒とつまみを堪能していた
映画もいよいよクライマックスといったところで肝心の酒が切れてしまった
男はもう少し買えば良かったと思ったが 下手に買いすぎて酔い潰れてしまっては元も子もないだろうと考え 映画の続きに集中した テレビが映す液晶の中で激しい銃撃戦が繰り広げられている
息をのむ展開に男は食い入る様に観ていた
ほどなくして映画はクライマックスを迎え 気付けば外は夕陽のこぼす温かい光に包まれていた
これから特別用事もない ほろ酔い気分の男は腰掛けていたソファーに横になり少し眠る事にした 酔いも手伝ってか眠りに落ちるまでそう時間はかからなかった 部屋には静かな寝息と壁掛け時計の秒針が刻む音だけが聞こえていた。

 

 

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「博士、最終段階に入りました。」
デスクに並べられた幾つかのモニターを見ながら助手の男が言った
「ふむ、この実験が成功するといいのだが。」
白衣を着た博士は手元の書類を眺めながら応えた

様々な機械が並べられた部屋には助手と博士 二人は真剣そのものだった 
「博士この実験に何の意味があるのでしょうか?」
助手の問いかけに少し間を置いて博士が口を開く
「人間と言うものは昔から実験が好きなのだ そしてそれをデータにまとめ素晴らしい結果が出れば論文を提出する しかし、よろしくない結果であればまた別の方法で実験を繰り返す。」
続けて博士は
「この実験もそうだ 野生の猿を縛り付け眠らせその後 脳に電極をつけ電気信号によって人間を生活を擬似的に体験させる いわば強制的に夢を見させるのだ この実験がどう役に立つかは分からないがやるしかないのである 無駄を惜しんでは科学の進歩はないからな」と応えた博士が向けた視線の先には厚い強化ガラスを挟んで部屋がある
その部屋の中には眠った猿が拘束具で固定され、その頭からは何本もの電極の線が出ている

この猿が何かの実験台にされているのは容易に想像できた。

-ジリリリリリン ジリリリリリン-

その瞬間 デスクの機械からブザーが鳴り出した
「博士、猿が目覚めます」
「さてようやくこの実験の成果が見られるぞ」

しばらくして夢の中で男だったはずの猿が目を覚ます。
そして思い出すのだ 自分は人間ではない。猿なのだ。美味い物を食べ娯楽に溢れた人間なんかではなく、その人間に実験台として扱われる猿なのだと

「目覚めましたが特に変化はないですね。」
つまらなさそうに助手が呟いた
「そうだな、少しばかりトイレへ行ってくる。しばらく監視しててくれ」と博士が観察室から出て行った

「はぁ、疲れたなぁ また失敗かぁ」
そう呟く助手の耳に声が聞こえてきた

『フ......』
あたりを見渡すも他には誰もいない実験対象の猿の様だ
「もしかして 猿が人間の言葉が喋れるようになったのか?少し音量を上げてみよう」
助手が機械のダイヤルを回す

「さぁ、もう一度言ってみてくれ」
助手は興奮気味に言った
再び猿が口を開いた
『フ..フク...フクシュウ...シテヤル...』